仙台高等裁判所秋田支部 昭和49年(う)33号 判決 1974年10月01日
控訴人 被告人
被告人 平塚繁
検察官 善方正名
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月および罰金二〇万円に処する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
右罰金を完納することができないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審の訴訟費用中、証人太田次郎に支給した分は被告人の負担とする。
本件公訴事実中、各私文書偽造、同行使の点については、いずれも被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人阿部三琅提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官善方正名提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
第一、原判示第一の食糧管理法違反の事実について。
(一) 控訴趣意第一点(法令の適用の誤り)について。
所論は、食糧管理法九条一項は主要食糧の配給、加工、製造、譲渡その他の処分、使用、消費、保管および移動に関する制限を政令で定めることを委任したにすぎないのに、同法施行令六条、七条、同法施行規則四〇条はこの委任事項の範囲を超えて買受を制限しており、これらは食糧管理法九条一項の委任の趣旨に反し、憲法七三条六号に違反する。原判決が被告人の原判示第一、一、1、2の行為に対し、食糧管理法施行令七条、同法施行規則四〇条、同法施行令六条を適用処断したのは、憲法の右規定に違反するというのである。
食糧管理法九条一項にいう「譲渡其ノ他ノ処分」の中には、譲受や買受をも含むと解するのが相当であり、同法九条一項は、政府が本件のような主要食糧の買受行為を禁止するため必要な命令をすることができる趣旨をも含むと解すべきである。同法施行令六条、七条、同法施行規則四〇条の規定は、同法九条一項の委任の範囲を逸脱したものではない(最判昭和三二年一二月一七日刑集一一巻一三号三二四六頁参照)から、所論違憲の主張は、その前提を欠くことになり、論旨は理由がない。
(二) 控訴趣意第二点(理由不備ないし理由のくいちがい)について。
所論は、原判決が食糧管理法九条一項の「特ニ必要ト認ムル」事情について何ら判示せず、また、原判決挙示の証拠によつては右事情を認めることはできないから、原判決には刑訴法三七八条四号の理由不備ないし理由のくいちがいがあるというのである。
しかし、食糧管理法九条一項の規定は、政府が同法の目的を遂行するため「特ニ必要アリト認ムルトキ」は、政令の定めるところによつて、主要食糧の譲渡その他の処分等に関し必要な命令をすることができる旨定めており、同法施行令六条、七条、八条、同法施行規則三九条、四〇条の規定は食糧管理法九条一項の委任の範囲内で本件のような主要食糧の買受、売渡行為を禁止していると解され、同法九条一項にいう「特ニ必要アリト認ムルトキ」とは委任命令の発動条件にすぎず、原判示第一の主要食糧の買受、売渡の各犯罪の構成要件でないことが明らかである。したがつて、原判決はその事情を判示する必要がなく、その掲げる証拠によつてその事情が認められなくとも、原判決には所論のような違法があるとはいえない。
(三) 控訴趣意第三点(事実誤認)について。
所論は、原判示第一の各事実につき、原判決が適用した食糧管理関係法令の存在理由がなくなつたのに、現行の食糧管理制度とその実情について事実を誤認し、原判決摘示の法令を適用処断した違法があるというのである。
たしかに、食糧管理法の性格が変貌してきたし、配給制度が緩やかになつていることは否定できないが、原判決説示のとおり、現行食糧管理は、基本的には配給制度を維持し、一定の限度において自主流通米を認めているものと思われ、最近の客観的状勢のもとでも、国民経済の安定を維持するため主要食糧の適正な流通を確保する必要があり、本件のような主要食糧の買受、売渡を禁止する食糧関係法令の存在理由がなくなつたとは到底考えられない。また、記録を精査し、原判示第一の各犯行の動機・態様、当時の食糧事情等に徴しても、可罰的違法性を欠くとは認められない。原判決には所論のような事実誤認ひいては法令の適用の誤りがあるとは考えられない。
第二、原判示第二の私文書偽造、同行使の各事実について。
控訴趣意第一点(法令の適用の誤り)について。
所論は、検査請求者である各農業協同組合が本件票せんの裏面の生産者氏名等の事項を記入すべきで、本件は私文書の虚偽記入・行使に過ぎないから、被告人は無罪であるというのである。
所論にかんがみ、記録および証拠物を検討すると、本件票せんは、農産物検査法施行規則一三条一項による様式四号に従つて作成された荷札用紙を使用しているものであつて、表面の上半分には、何年産、農産物の種類、銘柄、正味重量規格、皆掛重量、住所、生産地、検査請求者を記載する各欄、表面の下半分には、検査年月日、食糧事務所名を記載する各欄、その裏面には、生産者の住所、氏名、調製責任者名、受検組合名、品種名を記載する各欄がそれぞれ設けられている。そして、前記四号様式の備考二には「記載事項中銘柄、検査年月日及び食糧事務所名を除いては、検査請求者において記入するものとする。」旨、同備考三には「生産者から委任を受けて検査を請求する場合には、裏面に当該生産者の氏名又は名称及び住所を記載するものとする。」旨それぞれ定められている。これらによると、票せんの表面の銘柄、検査年月日および食糧事務所名は食糧事務所において記入すべきで、農業協同組合が生産者から委任を受けて検査を請求する場合には、その組合が表面のその余の部分のほか、裏面に生産者の住所・氏名等を記載すべきであり、裏面の生産者の住所・氏名等の記載は、それ自体独立した文書ではなく、表面の食糧事務所が記載すべき部分を除いたその余の部分の記載と一体となる検査請求者名義の私文書であると解するのが相当である。さらに、本件票せんの表面の検査請求者欄には、単に増田町農業協同組合または平鹿町農業協同組合と記載され、生産者何某代理人何農業協同組合とは記載されていないこと、本件粳玄米の検査請求の際、食糧事務所に提出された検査請求書の検査請求者欄には増田町農業協同組合または平鹿町農業協同組合醍醐支所長柿崎正吉と記載し、かつ、組合長または支所長の印を押し、これとは別に生産者ごとの米穀検査請求明細表・米穀検査記録票・検査調書(一枚の用紙)中の生産者氏名欄も各組合の担当職員が記載していることなどに徴しても、増田町農業協同組合または平鹿町農業協同組合は、検査請求者として、本件票せんの裏面に生産者の氏名、品種名等を記入する権限をもつていたとみることが合理的と思われる(通常、現実には、生産者が票せんの裏面の各欄の記載をしているようであるが、それは事実上の便宜的方法であつて、このことから直ちに、検査請求者の作成権限を否定することはできない。)。本件票せん中の私文書は、原判示増田町農業協同組合および平鹿町農業協同組合醍醐支所の担当職員が作成権限のある組合長または組合支所長および被告人と互いに意思を通じ、その裏面に虚偽の生産者の住所・氏名等を記入したことは、証拠上十分認められるが、これらの票せん中の私文書の名義人は、各農業協同組合であつて、その裏面の生産者の住所・氏名等が虚偽であるにすぎず、これらの文書の作成は現行法上処罰されない以上、それらの文書の行使もまた罪とならないことは明らかである。
ところが、これと見解を異にし、これらの票せんの裏面の記載を生産者作成名義の独立文書とし、勝手にその氏名・玄米の品種名等を記入したとし、その作成・行使に対し刑法一五九条一項、一六一条一項、六〇条を各適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認ひいては法令の適用の誤りがあるといわなければならない。論旨は理由があり、原判決はこの点で破棄を免れない。
そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり自判する。
原判決の確定した原判示第一の各事実に対する法令の適用は、原判決摘示のとおりであるから、これを引用し、その刑期および金額の範囲内で被告人を懲役一〇月および罰金二〇万円に処し、右懲役刑の執行猶予につき刑法二五条一項一号を、労役場留置につき同法一八条を、原審の訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を各適用する。
本件公訴事実中、各私文書偽造、同行使の点は、「被告人は、米穀の包装に貼付する当該米穀の生産者氏名、品種などを記載した票せんを偽造し、その生産者の名義を冒用して他から買い集めた粳玄米を政府に売り渡そうと企て
一、秋田県平鹿郡増田町農業協同組合組合長奥山彦四郎、同組合参事伊藤繁治、同組合経済課長佐藤重雄及び同組合経済課販売係山崎文司と共謀のうえ、昭和四八年二月五日ころから同年三月一九日ころまでの間、前後六回に亘り、前同町増田宇伊勢堂四一の三の右組合において、行使の目的をもつてほしいままに票せんに、別紙一覧表(六)記載のとおり斎藤金二郎他二八五名の氏名および玄米の品種名等を記入し、もつて右斎藤藤他二八五名作成名義の票せん合計三、一三〇枚の偽造を遂げたうえ、同年二月五日ころから同年三月一九日ころまでの間、前後六回に亘り、前記組合において、秋田食糧事務所農林技官和賀市松に対し、同人から米穀の検査を受けるに際し、右偽造にかかる票せん三、一三〇枚を、真正に作成されたもののように装つて米穀に貼付呈示してこれを行使し、
二、秋田県平鹿郡平鹿町農業協同組合醍醐支所支所長柿崎正吉、同支所販売係石川優と共謀のうえ、昭和四八年二月五日ころから同月二六日ころまでの間、前後三回に亘り、前同町醍醐字道中後二八の一右組合支所において、行使の目的をもつてほしいままに票せんに、別紙一覧表(七)記載の斎藤庄一他六〇名の氏名および玄米の品種名等を記入し、もつて右斎藤他六〇名の作成名義の票せん合計七五六枚の偽造を遂げたうえ、同年二月五日ころから同月二六日ころまでの間、前後三回に亘り、前記組合支所において、秋田県食糧事務所農林技官太田勇吉に対し、同人から米穀の検査を受けるに際し、右偽造にかかる票せん七五六枚を真正に作成されたもののように装つて米穀に貼付呈示してこれを行使したものである。」というのであるが、前説示のとおり、右各私文書偽造、同行使の点はいずれも罪とならないから刑訴法四〇四条、三三六条前段により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとする。
そこで、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中島卓児 裁判官 萩原昌三郎 裁判官 板垣範之)
(別紙一覧表)省略
弁護人阿部三琅の控訴趣意
第二私文書偽造について
第一点、原判決は法令の適用を誤り、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであります。
原判決は米穀の包装に附する票せんの裏面に生産者の氏名、品種等を記入した行為につき、刑法第一五九条第一項を適用しております。
しかし、農産物検査法施行規則第一三条様式第四号備考二は、票せんの「記載事項中、銘柄、検査年月日及び食糧事務所名を除いては、検査請求者において記入するものとする。」と規定し、同三は「生産者から委任を受けて検査を請求する場合には、裏面に当該生産者の氏名又は、名称及び住所を記載するものとする。」と規定しております。右規定は、右の「委任を受けて検査を請求する場合」という文言からして、委任を受けた者即ち、検査請求者が裏面の記載事項の記入をすべき者と解されるのであります。
右規定は票せんの記載事項中、食糧事務所で記載する事項(農産物検査法施行規則第一四条第二項)を除き、他はすべて検査請求者が記入すべきものとしているのであります。本件票せんの表面の検査請求者欄には単に増田町農業協同組合又は平鹿町農業協同組合とだけ記載されておりますし(昭和四八年押第四六号の一及び二)本件票せんの附せられた米穀の検査請求者の検査請求者欄にも両農業協同組合名が、それぞれ記載されております(山崎文司の昭和四八年六月一八日付検面調書添付の検査請求書、及び一〇四丁)。そうしますと増田町農業協同組合又は平鹿町農業協同組合は検査請求者として、本件票せんの裏面に生産者氏名又は品種名等を記入する権限を有していたことは明らかであります。
しかして、本件票せんは両農業協同組合の担当職員が、その職務として記入していたのであります(山崎文司の昭和四八年七月二四日付検面調書の九項及一〇項、五八丁~七三丁裏、一〇八丁、藤原孝一の検面調書)。
従つて、本件票せんはすべて作成権限を有する両農業協同組合によつて作成されているのでありますから、本件票せんの作成行為について刑法第一五九条第一項を適用した原判決は法律の適用を誤つたものであります。しかしながら、両農業協同組合は不明の生産者名及び品種名を、あたかも明確であるかのように、事実に反して虚偽の記入をしたのでありますから、両農業協同組合の行為は私文書虚偽記入に当るのであります。
ところが右行為は、犯罪とされていないのであります。然るに、原判決は弁護人の主張に対する判断として「本件票せんは、その内容、体裁からみて、生産者の委託を受けた各農協が生産者のために、その代理人として作成したものであるかのような外観を呈する文書だ。」と判示されたのであります。
しかし、本件票せんは、その表面に検査請求者名と食糧事務所名が記載され、裏面に生産者名等が記載されております(昭和四八年押第四六号の一及二)ので、本件票せんは、その内容体裁において検査請求者である両農業協同組合と食糧事務所の文書という外観を有する文書であります。
即ち、本件票せんの検査請求者欄には両農業協同組合名が記載されておりますが、その記載には「生産者甲代理人」という文言が付加されていませんので、文書の外観から、代理人たる農協が生産者のために作成した文書であることを看取することは不可能であると思料するのであります。裏面の記載と総合すれば看取されるというのであるならばそれは、余りにも表面の記載を軽視し、裏面の記載を重視したもので、通用性のない独自の見解だと思料至します。何故なら、社会の一般人は文書の表面の記載を重視し、そこから名義人を看取し得るならば、その者を名義人と見るのが通常だからであります。
殊に、本件票せんは検査証明のために付せられるのでありますから、取引上表面の重要性は更に大きいのであります(農産物検査法第一六条第一項、同法施行規則第一四条第二項)。
原判決の判断は、票せんの表面の検査請求者欄に生産者甲代理人乙農業協同組合と代理形式で記入されている場合にのみなしうる判断であると思料いたします。
更に、票せんの効用及び票せんの裏面に生産者名が記載されるに至つた経緯に徴すれば、原判決の判断が当を得ていないことが一層明確になるのであります。
即ち、票せんは米穀の取引上、最も重大な意義を有する検査証明を表示するため米穀の包装に附せられるのであります(農産物検査法第一六条第二項、同法施行規則第一四条第二項)。
米穀の取引上も検査遂行上も生産者の氏名は、本来必要のないものでありますので、農産物検査法が制定された昭和二六年には、票せんの裏面は白地のままだつたのであります(八二丁裏~八七丁)。
ところが、食糧事務所はその事務統計上、米穀の検査結果を各生産者毎に記録していたのであります(山崎文司の昭和四八年六月一八日付検面調書添付の検査請求書の明細表が、検査結果記録票にもなつている点を御留意下さい)。検査請求者が多数の生産者から、一時に多量の検査委任を受けた場合、食糧事務所も検査請求者も共に、どの米穀が誰の生産物であるかを確定するのに多大の困難に逢着したのであります。
そのため、昭和三一年の改正で裏面に生産者氏名等を記載することにされたのであります。
このように、票せんに生産者氏名を記入するのは検査事務統計上の便宜のため、検査請求者に課せられた義務なのであります(八二丁~八七丁)。
検査請求者は権限をもつて、検査請求書を作成し、食糧事務所出張所に提出する際、委任を受けた生産者氏名と検査請求明細表に記入するとともに、票せんの裏面にも記入して、検査の準備として右票せんを米穀の包装に付するのであります(農産物検査法第一〇条第二項、第一二条、同法施行規則第一一条)。
又、原判決は、票せんの「表示内容に基づく効果が本人に帰属する。」と判断されていますが、どのような効果が本人に帰属するのか明確ではありません。検査証明を受ける効果は検査請求の当然の効果であつて、表示に基づく効果ではありませんし、生産者が、その米穀の内容等について責任を負うという効果は検査の終了段階までで、それは結局検査証明を受ける効果と殆ど同一であつて、検査終了後は農産物検査官がその証明に従つて、責任を負担するもので、生産者に責任を追求されることはないのであります(農産物検査法第七条、第八条)。
第二点、原判決は事実を誤認し、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであります。
即ち、被告人は本件票せんの作成について実行行為をしていないのであります(五八丁~七三裏、一〇八丁)。
又、票せんの作成について、具体的に意思を連絡し合つたことはないのであります。
仮に、百歩譲つて暗黙のうちに意思の疎通があつたとしても、本件票せんのすべてについて意思の疎通があつたことを認めるべき証拠はないのであります。
(その余の控訴趣意は省略する。)